様々な試行と実験を重ねて94年GW、遂に二泊三日のキャンプ釣行を敢行しました。
初めてのキャンプ釣行は、今もホームグランドとなっている、鈴鹿は愛知川水系神崎川上流部、ヒロ沢出合いでした。
釣果はそこそこでしたが、
この初キャンプは私達に色々な課題と改良すべき装備や行動様式を教えてくれました。
軽量小型化の必要性、
雨天対策、
食糧計画、
峠越えのアプローチ、
夜間行動の可能性、
残置した車の保安、
…等々、
諸々の課題の改善は非常に新鮮で興味深く、
釣りそのもの以上に夢中になったものでした。
様々な試行と実験を重ねて94年GW、遂に二泊三日のキャンプ釣行を敢行しました。
初めてのキャンプ釣行は、今もホームグランドとなっている、鈴鹿は愛知川水系神崎川上流部、ヒロ沢出合いでした。
釣果はそこそこでしたが、
この初キャンプは私達に色々な課題と改良すべき装備や行動様式を教えてくれました。
軽量小型化の必要性、
雨天対策、
食糧計画、
峠越えのアプローチ、
夜間行動の可能性、
残置した車の保安、
…等々、
諸々の課題の改善は非常に新鮮で興味深く、
釣りそのもの以上に夢中になったものでした。
夜間の移動等、諸々の危険.障害を避けて釣りを満喫する為に、私達は考えました。
→『先行をゆるさず、後追いをかわし、安全確実に一番の朝夕のマズメ時を満喫するには、渓(ヤマ)で泊まってしまえばいいのではないか?』
→『つまり入渓後、歩けるだけ歩いて夕マズメ迄には竿を出し、適当な泊り場で野営する。そして翌朝、朝マズメに竿を出せば、ほぼ確実に一番を釣る事が出来る!』
こうして、
90年代初頭のシーズンオフ、『キャンプ釣行案』を実現する為に、手探りながら大きい一歩を踏み出したのです。
いわゆる『山釣り』スタイルを取り入れても尚、そこに競合相手の有る事を知った私達は更に考えました。
確かに源流近くまで遡行のみに専念する事で、一番乗りの確率は上がりましたが、やはり完全では有りません。
又、移動距離を稼ぐ代わりに、朝マズメ、夕マズメと言う絶好のタイミングを犠牲にしなくてはならなくなりました。
当時の装備やスキルでは、夜明け前や日没後の暗闇を移動するのは非常に危険を伴い、現実的では有りませんでした。