以上の様な経緯の末に、
私達は岩魚釣りに行く事を指して、
『やまへいく』と表現し、
自分達の渓流釣りを
『渓(ヤマ)釣り』と表記する様になりました。
それから既に10年余りの月日が経ちました。今も、鈴鹿・愛知川水系の支流群からお気に入りの支流を選定し、
丹念に下調べの上、探釣を重ね、数シーズンを掛けてホームグランド化して楽しんでいます。
山ノ神に敬意を表しながら。
以上の様な経緯の末に、
私達は岩魚釣りに行く事を指して、
『やまへいく』と表現し、
自分達の渓流釣りを
『渓(ヤマ)釣り』と表記する様になりました。
それから既に10年余りの月日が経ちました。今も、鈴鹿・愛知川水系の支流群からお気に入りの支流を選定し、
丹念に下調べの上、探釣を重ね、数シーズンを掛けてホームグランド化して楽しんでいます。
山ノ神に敬意を表しながら。
そして2シーズン振りに渓へ帰る事にしたのです。
一旦全てを白紙に戻す様な気持ちで、自分達の釣りを見直しました。
先ずは原点へ回帰し、鈴鹿の渓を中心に近場へ目を向ける事。
渓(ヤマ)で泊まるのは一重に、一番を釣る為、朝夕のマズメ時を満喫する為。
一つ一つが貴重な釣行であり、歳を重ねた今も尚、伴に釣りに行ける事の得難さ有難さを噛み締める事。
そして、趣味の世界に無意味なルールや価値観・既成概念、他者との比較・競争を持ち込まない事を、確認し合ったのです。
エスカレートしたあげく、
渓(ヤマ)遊びに対する根本的な考え方の違いまで露見して、
それ以上活動できなくなった私達は、凡そ1シーズン渓(ヤマ)から遠ざかりました。
その間、私を含む一部の者達は渓流竿をリール竿に持ち変え、海へ降りて防波堤釣りでお茶を濁し続けていました。
お蔭で海釣りの愉しさや、釣りそのものに対する様々な見識を拡げる事は出来ましたが、
やはり渓(ヤマ)への想いは断ちがたく、同じ想いの仲間内で、母なる鈴鹿の渓(ヤマ)へ帰る意思を少しずつ固めていきました。