渓と波止

岩魚釣りと防波堤釣り、あと、ちょこっと日常の事。

渓(ヤマ)釣り起源ー10

その頃の私達にとって、

釣行と言えば、シーズン中に数回、北陸や北アの『山岳渓流』へと遠征する事を指す様になっていました。


そして、幕営(キャンプ)は本来の目的を離れ、『遠方の渓を攻める為』の一手段となりました。


毎回時間をかけて綿密な計画を立て、装備と食糧の分担を明確にしなければなりません。特に山岳地帯の渓の場合は様々の危険性を考慮しますので、装備も多岐に渡って多くなります。


又、分担制によって計画やメンバー構成に柔軟性が無くなり、非常にストレスの掛かるものになってしまいました。



その様な趣味が長続きする筈も無く、やがて考え方の相違が露見するに至り、活動を止めざるを得なくなりました。


趣味本来の癒しやリラックス効果、気分転換の効用を蔑ろにして、

そもそも釣り人である私達が、合理的な登山パーティーの真似事の様な行動様式を漫然と取り入れた当然の結果なのでしょう。

渓(ヤマ)釣り起源ー9

物事とは、とかくエスカレートしがちなものなのでしょうか。


今にして想えば、当時相当な頻度と回数で幕営釣行を重ねていました。


やがて、近場では飽きたらなくなった私達は、遠く華やかな北陸や北アの大渓谷に目を向けました。


とてもテコに合いそうもない険しく難しい渓々を攻める為、装備類の徹底的な軽量化と分担制を敷き、


ロープだの、ハーネスだの、エイト環だのと、それはもう大騒ぎです。


タイトなスケジュールを専ら遡行や泊まり場の設営に割り当て、


肝心の釣りはその合間にするという、主客転倒が常態化しました。


本来癒しの趣味である筈が、

終始ストレスの掛かるものになってしまったのです。

渓(ヤマ)釣り起源ー8

さて、渓流釣りから幕営型の山釣りへと変化・移行した事で、

私達の装備は、若干個人の嗜好を残しつつ、軽量化と耐水性、速乾性を追求したものとなって行きました。


その結果、最終的には釣り人と言うよりまるで山登りか沢登りをする人の様な格好になってしまいました。


又、釣りに関しては、ほぼメンバー全員が毛鉤釣り師に転向しました。


生き餌の、保存や消費等の問題から解放されると同時に、

状況に応じて各自手製の毛鉤を選んで使う醍醐味を覚えました。